【年収公開】今は未経験だけど将来フリーランスwebデザイナーになりたい方

【年収公開】今は未経験だけど将来フリーランスwebデザイナーになりたい方

今はまだ未経験だけど、将来的にフリーランス(webデザイナー)になりたい人や、今既にwebデザインの勉強(就職)をしてる人へ。前編はwebデザイナーを目指し就職活動に入るまで。後半は就職してからフリーランスになるまでの2部構成です。

東京のホームページ制作 個人事務所 代表リキカトリ

めざせwebデザイナー前編|資格不要?スクール&独学からの挑戦

めざせ!webデザイナーの書籍 1998年
私にとっての運命の本。今でも大切に手元にとってある。
めざせ!webデザイナーの書籍 1998年 の中身一部抜粋
1998年7月7日初版発行|めざせ!webデザイナーの書籍が私の人生を決めた。

1998年10月。運命の本との出会い。

この記事を当時書いたのが2018年11月6日(火)

1998年10月からほぼ20年の歳月。その当時22歳だった私は1997年11月に就職した印刷会社でのオペレート業務に将来を見出せず1998年6月退職。

そのまま無職となり次の目標や当てもなく、ただ若さだけで生活をしている日々を過ごしていた。

そんなある日、暇を持て余し私は本屋へ行った。自分の好きな「デザインコーナー」へと足を運ぶとその棚には「めざせ!webデザイナー」と言う本があった。

webと言う文字が何と読むのかも分からない。

しかし「デザイナー」と言う文字にとても関心があった私はその本を手に取り軽くページをめくる事になる。自分にとって運命の日だとも知らずに。

ホームページを創るwebデザイナー。

ホームページと言うインターネット上で見るメディアの時代がこれから来る。

そしてそれを創る仕事を「web(ウェブ)デザイナー」と言う。

この本にはそう書いてあった。基本はパソコンさえあれば仕事が出来る。

この本には、既にホームページ制作を仕事にしている人たちの実際のインタビューや、仕事環境、仕事の取り方、打ち合わせの進め方、契約書や請求書の書き方、そして最後は独立するまでの事が全て網羅されてた。

webスクール選び。100万円の自己投資。

私の興味は高まった。

webデザイナーになりたい!さっそく本を買って、家に帰り読みあさる。

そしてあっという間に読み終えた私は、パソコンを買う前に、まずはパソコンスクールの無料体験に行ってみる事にした。

すぐさまコンビニへ行き「仕事の教室」と言う雑誌を買って、そこに載っていた5~6校に資料請求をした。

そして資料が届くや否や無料体験の予約を電話でし、日を空けずスクールへ行った。

スクール見学は当時は真剣だったが、今思えば面白かった。

とあるスクールではアインシュタインみたいな講師が3DCGをガンガンに使ったプロモーションを見せていたり、とあるスクールでは地味な先生がイラストレーターのソフトを使っての「おえかき(ドラ●もん)を披露」。

どこも良くも悪くもスクール独自の個性があり、正直どのスクールが良いのかの判断がとても難しかったが、自分の感性を信じて、1つのwebスクールを選んだ。

費用は60万円。

そして初めてのパソコン(MAC G3)購入と関連設備で40万。合計100万円の自己投資。

しかし全く高いとは思わなかった。

むしろ人生で初めて自分からやりたい事を見つけ、勉強出来る。

その嬉しさの方が何倍も強かった。

webスクール修了。そして就職活動へ。

スクールは本当に楽しかった。

日々自分のwebに対する知識が付いてくのが分かったからだ。

「学ぶ」と言う事がこんなにも楽しいと感じる感性は、おそらくこれから先もうないだろう。

当時はスクールに通えない曜日や時間帯は、自宅にて独学に勤しんだ。

とくかく手を動かしていた。右手にマウス。左手にHTML辞典。

インターネット回線へ繋げるのには夜22時以降「テレホーダイ」に。

「ピープルルルル・・・」興奮する電子音。最高な瞬間。

そして1998年10月から通い始めたスクールも1999年4月に修了。

自作自慢のホームページ4作品をひっさげていざ就職活動を開始!

私は自信に満ち溢れていた。

だんご3兄弟が大流行した1999年4月の出来事である。

めざせwebデザイナー後編|資格不要?スクール&独学からの挑戦

めざせ!webデザイナーの書籍 1998年

就職活動。30社連敗。

webスクールで作った自作の実績4パターンをひっさげていざ就職活動を開始!

私は自身に満ちあふれていた。

募集要項で「学歴不問:未経験可」の文字を見つけ、最低給料20万より、勤務地:都内。など条件は多少付けたものの、私の自作実績を見せれば直に職は見つかると思っていた。

しかし!結果30社全て不採用。

うち、書類選考で半分落とされると言うショッキングな結果に。

自分が情けなくなったと言うか、天狗の鼻をへし折られた気持ちになった。

例えばとある会社へ面接へ行った時、当時40歳代くらいの女性社長が履歴書を見てこう言った。

  • 女社長:「カトリさんはどこの美大を卒業してますか?」
  • 私:「・・・。美大は出ていません」
  • 女社長:「あそう。うちはねぇ、美大卒しか採用しないの」
  • 私:「そうですか・・。失礼致します(こんのやろ〜!募集要項に書いておけ!)」

4月にスクールを修了し、5月〜7月の3ヵ月間の就職活動中の出来事であった。

8月、某制作会社へ無事就職。

あの夏を私は忘れない。

3ヵ月就職が決まらず、半分嫌気になり雑に新聞折り込みの求人情報を見ているとそこに「web制作:営業兼デザイナー募集」の文字を見つけた。

しかも家から距離も近い。「営業」と言う言葉にかなりの違和感があったが家にいてもやる事がない。

不採用で返却された履歴書の封筒をそのまま持ち、ならば暇つぶしに”行ってやろう”と早速電話してみた。そしてそのまま当日面接に行く事になる。

スーツでママチャリ(自転車)をコイで会社前で停めた。

その会社は3人でやってる小さい会社で、オフィスはマンションの一室を使って業務していた。

広めの1ルーム。一件家に見えるその会社っぽくない仕事スタイルに私は見た瞬間に憧れてを抱いてしまった。

そしてフカフカのソファーに座って社長と面接。

慣れないスーツもこの3ヵ月ですっかり違和感なくネクタイを締めれるようになっていた。

  • 社長「営業の経験は?」
  • 私「ありません」
  • 社長「そう、じゃ、追って結果は連絡します」

実に単調な面接だった。

私も暇つぶし感覚の気持ちの緩みもあり、何とも思わずにそのまま帰った。

ちなみにこの日に限って私は鞄を持っていかなかった。

履歴書を内ポケットから出して面接に挑む就活人は私くらいだったかもしれない。しかし翌日「採用」の電話が来たのだ。

営業マンに必要な物。

営業マンに必要な物。

名刺と鞄だ。

私は入社して早々だが、名刺の肩書きを「営業」ではなく、「webデザイナー」にして欲しいと祈願。

社長は渋っていたが、出来た名刺を見たら「webコーディネーター」となっていた。「ま、悪くはないか。」私は心の中でつぶやいた。

そして鞄に関しては社長が私に新しい鞄を買ってくれると言うので店へ行った。

あの日の事は今でもはっきり覚えている。

  • 社長「好きな鞄を選びなさい」
  • 私「はい。では一番上の棚にあるアルミのアタッシュケースがいいです」
  • 社長「10年早い、これにしなさい」

実に単調な鞄を<肩から斜めにかけて>私は店を出た。

デザインしたければ自分で営業してきなさい。

デザインしたくても仕事が無かった。

だから自分で営業する事になるのだが、飛込み営業なんて100件入って2~3件話しを聞いてくれるレベルで、商談成立なんて0.0%の世界だ。

夏の日差しが照りつける中、私は何件ものオフィスへ足を運んだ。

そして「セールスお断り」のドア札を見る度にマジックで「セールス(を)断り(ません)」に変えてやりたい気持ちになった。

結局仕事は取れず1ヵ月がたった頃、社長が私に自社HPのリニューアルをしたいからそっちの作業を先にやってくれ。と頼まれた。

私は嬉しかった。さっそく取りかかり2週間程で作り上げた。

  • 私「リニューアルできました」
  • 社長「デザインいいね」
  • 私「webデザイナー志望って面接で言いました笑」
  • 社長「ちょうど何件か仕事入ったから営業はもういいや」

嬉しいに決まってる。

その場でスーツを脱ぎ捨ててやりたい気持ちを抑え、私は晴れてwebデザイナーとして採用されたのだ。

*営業はベテランの関西人さんが別で採用された。

会社経営が傾く。給料3ヵ月分の未払い。

1999年9月の後半に入った頃、社員の先輩が私に「この会社来年くらいに潰れるかもよ」と言って来た。

どうも資金繰りに困っているようだ。

ちょうどその先輩に続けてこう言われた「カトリくんも、次の仕事探した方が良いよ。

あと自分のドメイン取っておくと良いよ」と。

1999年10月25日私は後のフリーランスの屋号となる初めてのドメイン(http://2106.net)を取得した。

会社での貴重な実績と経験

この会社で経験出来た事が、後のフリーランスに役立っている事はかなり多い。

内勤のwebデザイナーになれた私は、日々、企業のホームページ制作に勤しんでいた。

当時の会社営業スタイルは「レンタルサーバー」を売込みして、契約した場合は簡易的なホームページを「無料」で作ります。と言う内容だった。

おかげで5p程度の小さいホームページながら、50サイトくらいのデザインとコーディングの実績を積む事が出来た。

制作時、主にホームページに載せる<素材情報>は、クライアントからメールで頂くのだが、当時一番記憶に残っている<素材情報>が「求人雑誌」掲載欄(四角い紙切れ)のみ。

これで5p作らなければならない状況で何とか作り上げたのだが、我ながら自分の想像力を褒めてやりたい。

また遠く電車に乗り、ホームページ制作の素材撮影にもデジカメをもって行ったりもした。

クライアントから直接デザインを褒められる時もあり、私はとても仕事が楽しかった。

会社の残り仕事をしながら、フリーランス体制へ。

そして2000年の春頃に嫌な予想的中。

3ヵ月分の給料が保留され会社は倒産寸前。

しかし幸いな事に私は1999年10月25日のドメインを取ってから「お仕事掲示板BBS」を経由し会社勤めをしながら副業として小さな仕事を請負う機会を頂けフリーランスとしても兼業する体制とをとっていた。

そして近くマンション(事務所)を閉鎖すると言われ、新しい会社に転職するか迷ったが、既存クライアントの更新契約が事務所閉鎖以降も3ヶ月ほど残ってる事を告げられて、事務所は閉鎖で無くなるがどうにか更新対応を「月5万円」で引き継いでくれと社長に頼まれた。

そして3ヵ月分の未払い給料の替わりに職場の一室で使用していた「家電」「家具」「仕事道具一式」全てもらう事を約束。

こうして私は月5万をもらいつつ、お仕事掲示板BBSからの仕事を合わせ、地元の東京都豊島区南大塚の6畳一間のアパートで初1人暮らしをスタート。

「屋号:2106.net」SOHOフリーランスwebデザイナーとしての活動を始める事になった。

SEASONS(浜崎あゆみ) がマイブームだった2000年9月頃の出来事である。

副業フリーランスwebデザイナー初案件GET!仕事の取り方教えます。

webデザイナーいきなり未経験フリーランスへ。年収記録まとめ。
2000年2月。勤務時代。通っていたスクールからの推薦があり「とらばーゆ」<天職見つけた>のコーナーに掲載して頂けた。(当時24歳1ヵ月)

会社勤め+副業としてのフリーランス生活

前章の、

私は幸いな事にドメインを取ってから「お仕事掲示板BBS」を経由し会社勤めをしながら副業として小さな仕事を請負う機会を頂けフリーランスも兼業する形の体制となっていた。

この期間の事を少し記事に残しておこうと思う。

私の場合、「よし!フリーランスになるぞ!」と計画を立てて始めた訳ではなく、ある意味成り行きでフリーランスになったタイプだ。

なので少々面倒なのだが「フリーランス」になった時期を説明する場合、まずこの「会社勤め+副業としてのフリーランス」期間を<序章>とする事にした。

初フリーランスとしての受注はジュエリーHPのバナー制作

忘れもしない。

初フリーランスとして「私の能力と技術」が「お金」になった初案件を。

それは当時の友人から「お仕事掲示板にジュエリーHPのバナー制作の募集があるけど、どうか?」と言うメールだった。

私はそのメールを読んだが経験の無いフリーランスと言う位置づけで仕事をする事が正直とても怖かった。

何故ならば「もし満足してもらえなかったら・・」と言う気持ちがあった。

普段は「会社の盾」があってホームページ制作をしそれをいくつも経験していた。

バナーだって容易い作業だったけれど、「会社の盾」が無い状態で<お客様と直接>仕事をするその重圧・責任感にとてもビビっていた。

友人の一言

そんなビビリな私は、友人に「自分のデザインに自信が無いから遠慮したい」と返信した。

直にその友人から「自分はカトリさんのデザインは素晴らしと思ってる。だからきっとジュエリーの人も喜んでくれるに違いない。是非挑戦してほしい」と。

私はとても嬉しかった。

自分のデザインを素晴らしと言ってくれる人がいる事に。

そして初めての1歩を踏み出す事にした。

フリーランス初受注はGIFバナー3点15,000円

ジュエリーHPのオーナーにエントリーの意志を伝えた。

そして私がそのバナー制作を引き受ける事になった。

提示されたギャランティーはバナー3点で15,000円。

その金額が高いとか安いとかそんな事はどうでも良かった。

ただただ「喜んでもらえる為に最高のバナーを作りたい」その気持ちの方が強かったからだ。

遠方の方だったので、メールのみでやり取りをした。

一度も会う事は無く希望の色や雰囲気などをメールでヒヤリングし元写真画像をもらい、3種のGIFバナーを制作して提出した。

想像以上な素敵なバナーをありがとうございました

ジュエリーHPオーナーからのメールの返信に私は涙が出る程に嬉しかった。

友人も褒めてくれた。

私はこの時の報酬15,000円の重みを一生忘れない。

会社員として毎月当たり前の様に支給される20万円の給料とは全くもって重みが違った。

「自分自信でお金を稼いだ。」と言うやりがい。

何にも代え難いフリーランスとしての初仕事だった。

そして今はもう連絡先も知らないその友人に感謝の気持ちを伝えたい。

心から感謝します。ありがとう。

1999年(平成11年)12月の初フリーランスwebデザイナーとしての請求書下書きは今も手元にある。
1999年(平成11年)12月の初フリーランスwebデザイナーとしての請求書下書きは今も手元にある。

会社勤め+フリーランスの年収記録と生活状況

1999年(平成11年) 当時23歳

住まい:東京都豊島区南大塚(実家)
家賃:なし
会社給料:20万x12ヵ月=240万円
フリーランス収入:1.5万円

合計:241.5万円

仕事のBGMが BOYS & GIRLS(浜崎あゆみ)だった頃の記録である。

webデザイナーいきなり未経験フリーランスへ。年収記録まとめ。
デザイン系クリエイター雑誌の「design plex」の特集ページで紹介して頂けた。

会社勤めとフリーランス掛け持ちでの主な仕事内容

前章で記載した初フリーランスの仕事以降、私は会社勤めでのホームページ制作をしながらも「お仕事掲示板BBS」経由でさらに色々と仕事をさせて頂いた。

ちなみに勤務する会社の社長には「本業を優先に支障の無い範囲であれば、職場で個人の仕事(副業)をするのはOK」と許可をもらっていた。

その辺りは小さい会社だった事もあり助かったが、この頃になると本格的に会社の経営も傾き初め、正直仕事もあまり無く時間が余っていたのも事実であった。

フリーランスでの仕事の方は制作会社から企業ページのトップデザインのみ。や、地図マップの作成。CD-ROMコンテンツのデザインなどもあった。

また別の制作会社からは「バナー制作」の依頼もそれなりにあった。

どれも制作会社経由のいわゆる「下請け」がメインだったが、特に気にもせずに仕事をこなしていった。

思い出のデザインコンペ

大手制作会社からは「デザインコンペ依頼」も多く、その制作会社とは相性が良かったのか7〜8割の確立でコンペに通り、気に入ってもらっていた。

そんな中、今ではとても貴重な体験をさせて頂いたコンペがいくつかあった。

  • TBS:新ロゴマークコンペ
  • 東京ミッドタウン:ロゴコンペ
  • タニタ:肥満予防シンボルマークコンペ

特にTBS、ミッドタウンは今では誰もが目する有名ロゴ。

またフィー(報酬)も500万円くらいだったと記憶している。

クリエイティブな仕事にどんどん夢中になっていた。そんな貴重な経験だった。

2000年10月WEBビデオ講師の出演依頼

さらにこの年の記憶に残っている仕事の1つに、webビデオ講師の出演がある。

上にある2000年10月に発売したdesign plexの記事を見たビデオ制作関係者からかメールが来た。

いわゆる動画でwebクリエイターがレッスンをしてくれる。と言う内容だ。

出演するクリエイターは5~6人だったと思う。

それぞれクリエイターの得意分野を割り振りして紹介するビデオは全5巻程だったと記憶している。

今ではYoutubuが当たり前の時代だが、当時はまだビデオでの映像だった。

講師プロフィールで流す映像撮影の為、家の近所の(巣鴨の橋の上)を”わざとらしく”歩くシーンを恥ずかしげに撮った事、今でも鮮明に覚えている。

ちなみにビデオの出演ギャランティーは10万円。1日で撮影は終わったのでとても良い仕事だった。

この年にフリーランスwebデザイナーとして受注した案件数

フリーランス受注案件数:23案件
受注金額の範囲:最小額4,000円〜最高額150,000円
平均受注額:55,000円

会社勤め+フリーランスの年収記録と生活状況

<生活データ>
2000年(平成12年) 当時:24歳(独身)
住まい:東京都豊島区南大塚
家賃:65,000円(1K)

<収入>
会社給料:20万x5ヵ月=100万円
フリーランス収入:130万円
|内、会社引き継ぎ分:5万x3ヵ月=15万円

本業+副業の年収合計:245万円

仕事のBGMが恋愛レボリューション21(モーニング娘。)だった頃の記録である。

フリーランスwebデザイナー1年目❗️25歳の年収【280万】は低い?

1年目:webデザイナーいきなり未経験フリーランスへ。年収記録まとめ。
2001年11月。私のホームページを見て雑誌社より取材依頼。「webの達人に学ぶ」に掲載して頂けた。(当時25歳10ヵ月)

フリーランスwebデザイナー年収【1年目】:概要

仕事は嬉しい事に1年目(初年度)からある程度もらえていた。

主な受注経緯としては自分のHP(屋号http://2106.net)から直接仕事依頼のメールが来ていた。

特にラッキーだったのは当時yahooカテゴリー登録は審査もあまり厳しくなく、かつ並び順が「数字」順だった。

なのでカテゴリー登録ではちゃっかり1番目に私の屋号(2106.net)が出て来くる形だったので、きっと目に留めやすかったのだと思う。

この時の受注比率は「下請け9割:直案件1割」

なので主に制作会社や代理店との仕事が多かった。

また制作会社や代理店との仕事の進め方は基本どこも同じなので、同時進行も段々と慣れていった。

ただフリーランスと言う特性上仕事時間のスタイルは当時かなり不規則で、14時ごろ起きて夕方から深夜まで仕事(または遊びに出る)。と言う日も珍しくなかった。

嬉しい反面、しかし一方でその時間の不規則から、朝帰りで見た通勤サラリーマンの姿を見ては「自分はこんな不規則な事をしていて、ダメ人間になってしまわないだろうか・・」と心配になる時もあった。

フリーランスwebデザイナー年収【1年目】:思い出の案件

前年の「ビデオ講師」は1日の撮影で10万円とラッキーな仕事だったけど、この年にもラッキー案件はやってきた。

いつものように新規で代理店から仕事依頼のメールを頂き、担当者と喫茶店で初面会した時の事、名刺交換をした後すぐに「カトリさんを3ヵ月間弊社の専用として囲わせて下さい!」と言われた。

金額は「月々50万円x3ヵ月」依頼する内容は月に1~2件くらいで、トップページと下層デザインのみ(コーディングは不要)との条件だった。

当時大体同じ内容の案件だと15~25万円くらいだったので、単純にギャラは2倍、しかも3ヵ月の約束(安定)付き。

フリーランスにとってこの安定は最高のメンタル維持となった。

個人事業者への支払い対応の慣れてる会社

納品してから入金があるまでの基本は、当時月末〆の翌々月末支払い(60日後)が多かった。(60日後)

さらにデザイナーと言う仕事は、プログラマーと違い「源泉徴収」でギャラから10%を引かれて入金される。

(これを年末調整で本来の収めるべき税金を申告し、払い過ぎた分を還付金として返してもらう事になる)

そして対応の慣れている会社の場合、その源泉分も先に上乗せしてくれた。

例えば10万円ジャストの報酬の場合は「111,111円」で請求書を発行。

すると入金は10%引かれた「100,000円」となる。

さらにほとんどの場合、先ほどの還付金で戻って来るので逆に11,111円多く頂けた事になるのだ。

5万円なら「55,555円」。20万円なら「222,222円」。素晴らしい。

フリーランスwebデザイナー年収【1年目】:受注した案件数

フリーランス受注案件数:19案件
受注金額の範囲:最小額15,000円〜最高額580,000円
平均受注額:297,500円

フリーランスwebデザイナー年収【1年目】:売上年収記録と生活状況

<生活データ>
2001年(平成13年) 当時:25歳(独身)
住まい:東京都豊島区南大塚
家賃:65,000円(1K)

<フリーランスwebデザイナー1年目の収入>

1年目のフリーランスwebデザイナーとしての確定申告書類

売上げ:280万円

<経費>

  • 地代家賃:780,000円
  • 水道光熱費:114,083円
  • 旅費交通費:120,000円
  • 通信費:212,966円
  • 広告宣伝費:3,600円
  • 接待交際費:370,545円
  • 消耗品費:557,288円
  • 書籍代:17,206円
  • 雑費:163,700円

(経費合計:2,339,388円)

所得金額:469,278円
基礎控除:380,000円
課税される所得金額:89,273円
源泉徴収額:151,399円
還付される税金:△151,396円

フリーランスwebデザイナー【1年目】年収:280万円

仕事のBGMがtraveling(宇多田ヒカル)だった頃の記録である。

フリーランスwebデザイナー2年目!依頼は下請け9割!年収335万円

2年目:webデザイナーいきなり未経験フリーランスへ。年収記録まとめ。
2002年10月。私のホームページを見て雑誌社より取材依頼。「仕事の教室(特集記事)」に掲載して頂けた。(当時26歳9ヵ月)

フリーランスwebデザイナー年収【2年目】:概要

仕事は嬉しい事に2年目もある程度もらえていた。

主な受注経緯としてはやはり自分のHP(屋号http://2106.net)から直接仕事依頼のメールが来ていた。

この時の受注比率も1年目同様「下請け9割:直案件1割」

主に制作会社や代理店との仕事が多かった。

ただ面白い事に下請けとは言え、その依頼主である(同業の)web制作会社からの”自社リニューアル案件”が、この年4~5社から依頼されて対応した。

そして自然とその会社の専属外注デザイナーとして継続して仕事を回してもらえた事は、フリーランスの身としてとても有難い事だった。

フリーランスwebデザイナー年収【2年目】:思い出の案件

大阪に住む1人の男性Aさん。当時30歳前後だろうか。

多数の仕事を経営?運営?されているようで、この年だけで複数のホームページ制作のご依頼を頂いた。

・移動販売のカレー屋さん(ロゴデザイン・ホームページ制作)
・企画を販売する通販的サイト(ホームページ制作)
・ネットで学ぶポータルサイト(ホームページ制作)
・たった1種のチーズケーキ専門サイト(ロゴ・ホームページ制作)

どれも予算15〜20万円程だったが、毎回面白い仕事を依頼してくれるのでとても楽しかった。

その男性の事業が正直成功したのかは不明だが、色々とチャレンジするその姿勢と行動力はビジネスにいおいてとても重要な事だと感じた。

ちなみに当時、その方から連絡が来る時はいつも

「困った時はカトリさん!」が口癖だった(謎)

今ではもう連絡先も知らないけど、 Aさんの事だからきっとどこかでビッグビジネスで大成功を収めてるに違いない。笑

またこの年は、偶然にも誰もが知るビック施設のリニューアルデザインを2つ程受注できた。

・某水族館(ヒント:品川にある)笑
・某劇場(ヒント:池袋にある)笑

もちろん、制作会社からの下請けだったが、やはりビックネームのホームページ制作はとても嬉しかった。

この時ばかりは親に自慢げに報告したのを覚えている。

そして親はいくつになっても親バカなもので、そんな息子の報告をとても嬉しそうに聞いてくれたものだ。

フリーランスwebデザイナー年収【2年目】:受注した案件数

フリーランス受注案件数:25案件
受注金額の範囲:最小額4,000円〜最高額865,000円
平均受注額:434,500円

フリーランスwebデザイナー年収【2年目】:売上年収記録と生活状況

<生活データ>
2002年(平成14年) 当時:26歳(独身)
住まい:東京都豊島区南大塚
家賃:65,000円(1K)

<収入>

2年目のフリーランスwebデザイナーとしての確定申告書類
慣れない確定申告2回目。良く分からない売上欄の記入ミスも、今となっては過去の懐かし思い出・・・

売上げ:335万円

<経費>

  • 地代家賃:780,000円
  • 水道光熱費:134,203円
  • 旅費交通費:44,500円
  • 通信費:239,290円
  • 広告宣伝費:158,111円
  • 接待交際費:406,974円
  • 消耗品費:804,826円
  • 雑費:1,400円

(経費合計:2,648,841円)

所得金額:701,684円
基礎控除:380,000円
課税される所得金額:321,000円
源泉徴収額:191,754円
還付される税金:△166,000円

フリーランスwebデザイナー【2年目】年収:335万円

仕事のBGMが HERO(Mr.Children)だった頃の記録である。

フリーランスwebデザイナー3年目!需要無し?年収250万へダウン..

3年目:webデザイナーいきなり未経験フリーランスへ。年収記録まとめ。
超有名大手も掲載されているweb年鑑2003(分厚い重い)に掲載して頂けた。当時1冊¥12,000!もちろん今も手元にある。

フリーランスwebデザイナー年収【3年目】:概要

仕事は3年目もある程度もらえていた。

主な受注経緯としてはやはり自分のHP(屋号http://2106.net)から直接仕事依頼のメールが来ていた。

この時の受注比率も1〜2年目同様
「下請け9割:直案件1割」主に制作会社や代理店との仕事が多かった。

また東京以外の制作会社からの依頼も多くなってきた。

特に名古屋のweb制作会社(今も健在しかなり大手になっている)からの受注が多かったが、顔を1度も合わせて仕事をした事がなく、自分はどちらかと言うと”会って進める”タイプの人間だったので、そういったジレンマも抱えつつ、ただひたすら食いっぱぐれない様、仕事をしていた。

またフリーランスも3年目と言う事もあり、自分なりの進め方やギャラの要望などを制作会社や代理店の交渉する場面も増えてきた。実際、値上げを要求したけど通った記憶は無く、自然とその会社からの受注も減って行くと言うパターンが増えて行った。

フリーランスwebデザイナー年収【3年目】:思い出の案件

この年は、特にゲーム関連のサイト制作を多数受注した。

都内にある某制作会社からの依頼だったが、その会社は某玩具メーカー専属?のweb制作会社だったと思う。

(その会社の実績は全て某玩具メーカーのゲームオフィシャルサイトだった)

実際にゲームサイトと言ってもメインはその玩具メーカーが版権を持つ「キャラクター」のゲームとなる。

そしてキャラクターの取り扱いガイドラインの細かい仕様にとても面倒くささを感じた記憶がとても強い。

とはいえ、誰もが知る有名なキャラクターの素材パーツなどを自分のパソコンで開いて作業している状況は、何かこう自分が業界人になった錯覚を覚え、とても楽しかった記憶もある。

またここだけの話だが、実は未だに(2018年11月現在)私の作ったゲーム(キャラクター)サイトはそのメーカーのwebに存在しており、実際に見る事が出来る。

そして見るたびに画面幅の狭さ(解像度の変化)に、時代の流れを感じるのであった。

またこの年は、まだまだFLSHでのアニメーションや動きなどのギミックを多数取り入れたサイト制作も多く、私も必死になりFLASHを勉強していた思い出がある。

アクションスクリプトやシンボル。

タイムラインにトゥイーンなど、フラッシャーと呼ばれる達人のサイトを見まくった時代だった。

そしてマクロメディアのプラグイン(ショックウェーブ)のゲームにハマっていた事が懐かしい。

MdNが年1回発行する「クリエイターズファイル」にも掲載させて頂けた(2003)
MdNが年1回発行する「クリエイターズファイル」にも掲載させて頂けた(2003)

フリーランスwebデザイナー年収【3年目】:受注した案件数

フリーランス受注案件数:31案件
受注金額の範囲:最小額14,300円〜最高額468,000円
平均受注額:241,150円

フリーランスwebデザイナー年収【3年目】:売上年収記録と生活状況

<生活データ>
2003年(平成15年) 当時:27歳(独身 / 同棲)
住まい:東京都豊島区北大塚
家賃:115,000円(2LDK)

<収入>

3年目のフリーランスwebデザイナーとしての確定申告書類

売上げ:250万円

<経費>

  • 地代家賃:1,250,000円
  • 水道光熱費:134,511円
  • 旅費交通費:141,380円
  • 通信費:180,733円
  • 広告宣伝費:4,000円
  • 接待交際費:158,800円
  • 消耗品費:140,083円
  • 雑費:36,464円

(経費合計:2,053,549円)

所得金額:453,938円
基礎控除:380,000円
社会保険料控除:83,400円
課税される所得金額:0円
源泉徴収額:161,510円
還付される税金:△161,510円

フリーランスwebデザイナー【3年目】年収:250万円

仕事のBGMが りんごのうた(椎名林檎)だった頃の記録である。

フリーランスwebデザイナー4年目!スキルUPで年収450万円は相場?

4年目:webデザイナーいきなり未経験フリーランスへ。年収記録まとめ。
2004年2月。雑誌社より取材依頼。「アントレ(独立辞典)」に掲載して頂けた。(当時28歳1ヵ月)

フリーランスwebデザイナー年収【4年目】:概要

仕事は4年目も変わらずといったところ。

主な受注経緯としては1~3年目からお付き合いさせて頂いている制作会社や代理店からの下請け(リピーター)が大半を占め、それと合わせて自分のHP(屋号http://2106.net)から直接仕事依頼のメールが来ていた。

この時の受注比率も1〜3年目同様
「下請け9割:直案件1割」

主に制作会社や代理店との仕事が多かった。

またこの記事を書く為、当時の請求書を見返していると、この年は前年に比べ受注案件が1.5倍程あった。

しかし1案件の単価が低く、そのほとんどが「コンペ案件」項目だった。

今ではもうコンペ案の仕事はしないが、当時は本当によくコンペ案の下請けをやっていた。

正直コンペ案の仕事は好きではないし、4年目にもなると前年に書いた通り制作会社(下請けの仕事)に対しての自分なりの考えも出来てきており、しかし直で案件を受注出来るほどの営業力も無くただひたすら下請けの仕事をしていた時期だったと思う。

ただ嬉しい事に、しっかり丁寧な仕事はもちろんの事、レスポンスやフットワークの軽さを武器に仕事に取り組んだ結果、売上も少しつづだが増えていくのを実感できた年でもあった。

フリーランスwebデザイナー年収【4年目】:思い出の案件

前項にも書いたが、この年はコンペ案件を多数受注した。

おおよそコンペの仕事は制作会社・代理店の社内ディレクターがワイヤーフレーム(構成)をパワーポイント、エクセルで用意し、それに基づきデザインをしていくのだが、オーソドックスなメニュー配置にお決まりのレイアウト。

色とロゴを隠せばどの会社かも分からないようなデザインを毎回作り出していく作業。

そしてコンペは通らずの繰り返し。

直案件であれば、直接打ち合わせに参加し、直接ヒヤリングして、お客様の強みを見つけそれを提案出来るのだが、下請けの場合は制作会社・代理店側の社内ディレクターからの伝達の為、ディレクターの技量やセンスによって、とても楽しい案件となるか、とてもやりにくい案件になるか。

その差をいつも感じながら仕事を淡々とこなしていた。

自分は当時雑誌メディアに紹介して頂く機会も多く、毎年恒例となる年鑑ファイル系の書籍は少なからず自分へのモチベーション維持にもなっていたし、若さゆえのちょっとした同年代(知人友達)への自慢にもしていた。(笑)

当時、お仕事をくれた方から言われた事あったのだが、はじめは書籍で私の事を知り、その後でネットでも色々と他のデザイナーも検索していたところ、そこでも偶然私のサイト見つけ、「この偶然はきっと必然だ!」と言う事でお仕事を頂いた経緯もあった。

MdNデザイナーズファイル2004に掲載して頂けた。*MdNさんは見本誌を頂けるのが◎
MdNデザイナーズファイル2004に掲載して頂けた。*MdNさんは見本誌を頂けるのが◎
Web制作会社年鑑2004(現マイコミ社)に掲載して頂けた。*こちらは見本誌は無く自腹で購入。
Web制作会社年鑑2004(現マイコミ社)に掲載して頂けた。*こちらは見本誌は無く自腹で購入。

フリーランスwebデザイナー年収【4年目】:受注した案件数

フリーランス受注案件数:52案件
受注金額の範囲:最小額8,000円〜最高額439,000円
平均受注額:223,500円

フリーランスwebデザイナー年収【4年目】:売上年収記録と生活状況

<生活データ>
2004年(平成16年) 当時:28歳(独身 / 同棲)
住まい:東京都豊島区北大塚
家賃:115,000円(2LDK)

<収入>

4年目のフリーランスwebデザイナーとしての確定申告書類

売上げ:416万円

<経費>

  • 地代家賃:1,560,000円
  • 水道光熱費:169,097円
  • 旅費交通費:247,780円
  • 通信費:164,165円
  • 広告宣伝費:52,500円
  • 接待交際費:241,752円
  • 消耗品費:212,047円
  • 福利厚生費:600,00円
  • 雑費:492,054円

(経費合計:3,211,567円)

所得金額:951,433円
基礎控除:380,000円
社会保険料控除:219,600円
課税される所得金額:349,000円
源泉徴収額:177,729円
還付される税金:△142,829円

フリーランスwebデザイナー【4年目】年収:416万円

仕事のBGMが 栄光の架橋(ゆず)だった頃の記録である。

フリーランスwebデザイナー5年目!収入UPで年収600万円へ

5年目:webデザイナーいきなり未経験フリーランスへ。年収記録まとめ。
web creatersの特集「webクリエイターの1週間(見開4p分」に掲載して頂けた(当時29歳)
MdN 2005年版のweb制作会社総覧に掲載して頂けた(当時29歳)
MdN 2005年版のweb制作会社総覧に掲載して頂けた(当時29歳)

フリーランスwebデザイナー年収【5年目】:概要

仕事5年目。

もう5年なのか、まだ5年なのか正直どう捉えて良いか分からないのだが、変わらず仕事はもらえていた。

主な受注経緯としてはやはり自分のHP(屋号http://2106.net)から直接仕事依頼のメールが来ていた。

この時の受注比率は
「下請け9.9割:直案件0.1割」

主に制作会社や代理店との仕事が多かった。

直案件はこの年1件のみ受注した「千代田区の財団法人関連の公式ホームページ」のみだった。

*古い知人が関係者と繋がりがあり、その紹介でお手伝いさせて頂いた。

ただ下請けでの単価がこの年は少し多めになり、初めてイラストレーターさんの外注を使ったのもこの年だった。

フリーランスwebデザイナー年収【5年目】:思い出の案件

案件では無いが、雑誌メディア「web creaters 4月号」webクリエイターの1週間。に掲載して頂けた事がとても印象深い。

ある日雑誌社から「取材依頼」のメールが届き掲載させていただく事になった。

このwebクリエイターの1週間は毎号シリーズ記事になっていて、色々なクリエイターさんが出ている。

自分も読者として見ていたのでとても嬉しかったのだが、「どうやって撰定」したのか聞いてみたところ、「とある数名の方から、webクリエイターの1週間シリーズで、ぜひカトリさんを取り上げて欲しい。見てみたい。」とご要望があったとの事だった。

どうやら私の知人友人からではなく、ごく一般の方からの要望だったらしく、それをご縁に撮影取材して頂けた事は本当にありがい事だと思った。

ちなみに表紙の撮影は巣鴨地蔵通り商店街で行ったのがだ、通りすがりのご老人達に「誰じゃ?」的な目で注目を浴びたのは言うまでもない。

またプライベートではこの年に結婚をした。

フリーランスと言う不安定な職業にも関わらず結婚してくれた妻、そして受け入れてくれた義理のご両親には感謝している。

ちなみに妻は私が以前の会社が潰れる時に、このままフリーランスでやっていくか不安だがどう思うか?と聞いた時にも「やってみたら」と言ってくれたのはとても心強かった。

彼女はいつも背中を押してくれる心強いパートナー、理解者なのだと強く感じた。人生の大起点、結婚。

より一層仕事を頑張らねばと誓った年でもある。

フリーランスwebデザイナー年収【5年目】:受注した案件数

フリーランス受注案件数:36案件
受注金額の範囲:最小額10,000円〜最高額715,000円
平均受注額:362,500円

フリーランスwebデザイナー年収【5年目】:売上年収記録と生活状況

<生活データ>
2005年(平成17年) 当時:29歳(既婚)
住まい:東京都豊島区北大塚
家賃:115,000円(2LDK)

<収入>

5年目のフリーランスwebデザイナーとしての確定申告書類

売上げ:615万円

<経費>

  • 外注工賃:170,000円
  • 地代家賃:1,813,400円
  • 水道光熱費:156,559円
  • 旅費交通費:193,915円
  • 通信費:159,181円
  • 広告宣伝費:184,927円
  • 接待交際費:263,664円
  • 消耗品費:241,124円
  • 福利厚生費:12,830円
  • 書籍:435,970円
  • パソコン1:98,436円
  • パソコン2:78,960円
  • パソコン用品:81,800円
  • 雑費:151,216円

(経費合計:3,655,050円)

所得金額:2,499,535円
基礎控除:380,000円
社会保険料控除:326,866円
課税される所得金額:1,743,000円
源泉徴収額:396,200円
還付される税金:△221,900円

フリーランスwebデザイナー【5年目】年収:615万円

仕事のBGMが ジョバイロ(ポルノグラフィティ)だった頃の記録である。

フリーランスwebデザイナー6年目!案件安定し年収1000万円目前へ。

6年目:フリーランスwebデザイナー 年間案件いくら稼げた?現実の年収内容

フリーランスwebデザイナー年収【6年目】:概要

フリーランスを初めて6年目の2016年。この歳で私は30歳になった。

主な受注経緯としては変わらず自分のHP(屋号http://2106.net)から直接仕事依頼のメールが来ていた。

この時の受注比率は「下請け8割:直案件2割」やはり制作会社や代理店との仕事が多数だった。

またおかげさまで前年(5年目)辺りから急激に仕事量が増え、この年には直クライントから初めての保守管理(月額固定@更新作業)も契約する事が出来た。

また売上げも徐々に大きくなってきたので、この年になり始めて確定申告を「白色申告」から「青色申告」にし、妻を専従者扱い(給与支払い)として税金対策も考えるようになった。

フリーランスwebデザイナー年収【6年目】:思い出の案件

始めて月額固定として、保守管理を含めた直クライアントとの出会いが何より思い出のある案件だった。

出会いの経緯はこうだ。

ある日突然に電話が鳴った。出ると某有名企業の「代表取締役社長Sさん」からの直々の電話だった。

社長Sさん:「初めまして。私は〇〇会社の社長のSと申します。実は雑誌の<web creaters 4月号 のwebクリエイターの1週間>の記事をみて、カトリさんのセンスに惚れてしまい思わず電話をしてしまいました。弊社は巣鴨に本社がありましてカトリさんの事務所とも距離が近いようです。もし宜しければ本日お伺いしに行っても宜しいでしょうか。」

誰もが名前くらいは聞いた事のある有名企業だ。

こうしてS社長に気に入って頂けた私は、その会社のホームページリニューアルから、関連サイトの立ち上げ。

さらに月額固定契約での保守管理まで、幅広くお仕事をさせて頂くに事になった。

直案件の醍醐味。

それは下請けでは絶対に得る事の出来ない仕事に対する「やりがい」がそこにはあった。

2018年現在、弊社ではおかげさまで<ほぼ10割>が直案件となった。

そして管理代行 / 保守運営契約はクライアントの9割に及ぶ。

これらの全ての基盤、経験を積ませて頂けたのはS社長のおかげだ。

その数年後にS社長は社長を引退され、その後企業も合併し、そういったタイミングもあり私との仕事関係も終了となった。

当時S社長は良くランチに誘ってくれた。

巣鴨地蔵通りを含め色々と巣鴨のグルメ巡りをした事、とてもよく覚えている。

そして今でも、巣鴨を通るたびにあの頃の事を思い出すのだ。

フリーランスwebデザイナー年収【6年目】:受注した案件数

フリーランス受注案件数:60案件
受注金額の範囲:最小額10,000円〜最高額892,500円
平均受注額:451,250円

フリーランスwebデザイナー年収【6年目】:売上年収記録と生活状況

<生活データ>
2006年(平成18年) 当時:30歳(既婚)
住まい:東京都豊島区北大塚
家賃:115,000円(2LDK)

<収入>

6年目のフリーランスwebデザイナーとしての確定申告書類

売上げ:906万円<内訳>

*最終回なので特別に公開します。
|01月:572,000円
|02月:418,500円
|03月:2,131,500円
|04月:1,065,000円
|05月:76,250円
|06月:179,800円(上半期:4,443,050円)|07月:1,134,000円
|08月:930,000円
|09月:206,000円
|10月:646,666円
|11月:1,567,250円
|12月:142,000円(下半期:4,625,916円)#年間合計:9,068,966円

<経費>

  • 地代家賃:1,250,000円
  • 水道光熱費:124,060円
  • 旅費交通費:149,063円
  • 通信費:158,667円
  • 広告宣伝費:8,808円
  • 接待交際費:455,196円
  • 消耗品費:1,379,432円
  • 福利厚生費:724,288円
  • 雑費:222,651円

(経費合計:4,712,798円)

基礎控除:380,000円
扶養控除:380,000円
専従者給与:765,000円
青色申告控除:650,000円

所得金額:3,297,798円

社会保険料控除:1,091,170円
課税される所得金額:1,396,000円
源泉徴収額:229,091円
還付される税金:△103,451円

フリーランスwebデザイナー【6年目】年収:906万円

仕事のBGMが しるし(Mr.Children)だった頃の記録である。

そしてこの4年後の2010年(H22年)に屋号を2106.netから「カトリデザイン事務所」へ変更。さらにその2年後の2012年(H24年)株式会社カトリデザイン事務所(https://www.katori.co.jp/)へと法人成りし、現在に至る。

<完>

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